5)極限生命のバイオフィルムに関する研究

 1. バイオフィルムとは
 これまで微生物の培養と言えば,豊富な栄養条件下におけるフラスコ振盪培養あるいは通気撹拌槽による方法が当たり前であった.しかし,自然界において多くの微生物は浮遊状態よりもむしろ固体表面に付着し独自の戦略を使いながら貧栄養など過酷な条件下でしたたかに生存している.  固体表面に付着した微生物が形成する高次構造体をバイオフィルム (biofilms)と呼ぶ.バイオフィルムを形成することによって微生物たちは好ましい環境に滞留し,お互い情報交換しながらスクラムを組んで外的攻撃から身を守っている(図1).たとえばバイオフィルムを 形成した緑膿菌(Pseudomonas aeruginosa)では抗生物質に対する耐性が浮遊細胞に比べて数百倍も上昇し,薬剤治療を難しくしている.その一方で,生育環境が好ましい状態でなくなるとバイオフィルムは速やかに破壊され,また新たな環境を求めて細胞は遊離してゆく. これまでに主に病原性細菌の遺伝学的研究からバイオフィルム形成に細胞間シグナル伝達分子が関与していること,バイオフィルムでは浮遊状態の細胞とは異なる遺伝子群が発現していことなどが分かってきた.これらの結果はバイオフィルム形成が微生物における発生過程とも 呼ぶべき側面を持っていることを示唆するものである.最近,共同研究先のハーバード大学医学部(Prof. Roberto Kolter研究室)で枯草菌のバイオフィルム(あるいは気-液界面に形成されるペリクル)の隆起した先端部から胞子形成が始まることを観察した(http://gasp.med.harvard.edu/projects.html). これは植物が種子をできるだけ広範囲に飛ばす工夫とも似ているようにも思えて興味深い.また実際の自然環境においてバイオフィルムが単一の微生物種で形成されることはむしろ稀で,通常は複数種からなる微生物群集体(microbial consortium)である(図2).

 2. 最近の実験結果
 a. 鞭毛
実験室でよく用いられる枯草菌の標準株(Bacillus subtilis 168株)はバイオフィルムやペリクルをほとんど形成しないが,我々が国内の油田から分離した枯草菌野生株 (B. subtilis B-1株)は極めて強固で立体的なペリクルとバイオフィルムを形成する(図3). そこで本菌の膜タンパク質を調べたところ,浮遊状態の細胞に比べてペリクル細胞や固体培養細胞でプロテアーゼ前駆体,オリゴペプチド透過酵素や主要鞭毛タンパク質(flagellin)の発現が顕著に増大していることが分かった.枯草菌で細胞間シグナル伝達分子として 知られているのはComXと CSF (competence and sporulation factor)という2種類のオリゴペプチドなので,バイオフィルム形成時にその透過酵素が誘導されることは合理的である.一方,これまで緑膿菌などでは鞭毛は初期の表面接着のみに関与し,バイオフィルム形成に伴って 発現量が低下すると報告されている.今回,枯草菌では,ペリクル中で鞭毛タンパク質が誘導されたことは鞭毛がバイオフィルムの成熟過程まで積極的に何らかの役割を果たしている可能性(図4)を示唆する.
 b. EPS
 バイオフィルムの物理的強度を支えているのは,細胞外に分泌生産される高分子量化合物(Extracellular Polymeric Substances; EPS)である(図5).緑膿菌ではアルギン酸がその役割を担っており,その他多くの細菌の EPSも多糖類である. 枯草菌の EPSを精製して構造を決定したところ,γ-ポリグルタミン酸(γ-PGA)であることが分った.さらにγ-PGAをよく生産する株ほどバイオフィルムを作る傾向にあった(図6).γ-PGAは納豆のネバネバの主成分であり納豆菌が多量に生産することは よく知られていることであったが,バイオフィルムとの関係について研究したのはこれがはじめてである.

 3. 展望
枯草菌バイオフィルムの研究で分ったことのひとつは,同じ枯草菌でありながら実験室株168株は非常に恵まれた環境でぬくぬくと飼い続けられてきたために本来備えているバイオフィルム形成能をはじめとするいくつかの生存戦略(γ-PGA生産,バイオサーファクタント生産能)を 既に失ってしまっていることである.最大増殖収率を求めるばかりが培養ではない,少しゆっくりと微生物を育てて野性の声に耳を澄ましてやれば新しい生命のしくみが見えて来るような予感を感じる.進化的に原始生命体に近いと言われている生物群に超好熱始原菌がある. ごく最近,鹿児島県小宝島から1994年に分離したThermococcus kodakaraensis KOD1のバイオフィルム形成に成功した(図7).生命進化とバイオフィルムの関係について今後研究を進める予定である.

 4. 参考資料
 「バイオフィルム?微生物だってひとりじゃ生きてゆけない?」
 化学と生物(2003)41巻 pp 32-37


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